山の自然学クラブ 事務局ブログ

事務局へ寄せられた、会の活動報告や、会員のみなさまのご活躍を発信します。絵日記担当:中村が更新しています。

2017年初_大蔵喜福理事長メッセージ

2016年会報・はじめに 時代の求めるもの、若者をどう取り込んでいくか

山から始まる自然保護(当会年会報)16号 2017年2月22日発行より
大蔵喜福理事長 巻頭言

 今年は、5月9日のマナスル登頂60周年、8月11日、初めての「山の日」が国民の祝日として実施され、山関係の催事や行事が長期間続き、海外の山は別にしても国内の山に因むいろいろな催しは、山の日を中心に大いに盛りあがりを見せたようだ。山の日の目的は多角的で環境や生活の課題も含まれ、自然からの恩恵を代々引き継いでもらうための自然保護保全の意味も大きいが、その祝日模様は山登りの日といった感が大に思われた。山の日は『山に登る』というのがやはり一般からすればわかりやすいことなのかも?

 だが、我々山好きの自然愛好家には、山歩きの都度、ただ歩くのではなく、自然のいろいろな変化や異常な状況を観察する役目があり、その自然からのメッセージをインタープリーティングする義務を持つと常々思っている。日本の大自然の環境問題を町場に居て、とやかく言うことは意味の無いことで、山に入り登らなければ始まらない。
 環境省の自然観察指導員にしても、山に行く職業の人、山に居る職業の人でないと役に立たない。だから登山ガイド、山小屋、救助隊、ボッカ、林業などの仕事人が多いのはうなずける。でも見回るだけでなくしっかり観察して、調べ、明確に記録し報告をすることが大切で、見るだけで何もしないのでは困りものだ。私もここ10年くらい指導員を続けているが、観察はするが、調べて記録し報告となるとすべて完璧にできてはいない・・・反省しきりである。
 さて、その反省の殆どが自らの登山スキルに余裕がないことが要因になる。荷物が背負えない、早く歩けない、岩場をスムーズに登れない、すぐ疲れる・・・できればいつまでもスキルの落ちない、すばらしい体力と知力が備わったアンドロイドのような身体がほしいと思う。単独で何処へでもよじ登れて、サッサと移動できる。それなら高くて険しくて、誰もいけないような地形の大自然を見ることもでき、さらに観察地域も広範囲になる。そこには何が?そこの環境はどう?とドローン張りに観察できればすごいことだ。だが人間は所詮人間、年を重ねると体力・気力がドンドン落ちる。山へ登れなくなれば、高山植物にしてもライチョウなど高山の鳥、小動物、蝶や昆虫・・・氷河期のレリックとして世界に誇るあるいは残る「これら絶滅危惧種をどう守っていくか」といった崇高な目的も、スキルの衰えと共に乖離していくような気がしてならない。
 そこで、高齢化した我々は何をしてこの体たらくに抗していくか?大問題。放っておくと、組織そのものがなくなる・・・えらいことだ。それには自然大好きな若者を山登りに引っ張り込むことを実行に移さねばならない。まず山登りの崇高な意義と目的を共有する、そして一緒に楽しみを覚える活動をする、さらに自らを鍛え高める鍛錬など、我々が新しい仲間=若者と一緒に行動する山行 (機会)を沢山持つことである・・・当然な答えである。ところがそう簡単に若者は『山好き』になってくれない。世の中不景気が続き、夢や希望を持たない年金暮らしのような若者には、山を考えることは無理なのか??いやいやそんなことは無いはず!!我々の若い頃だって同じようなもの。多少は嬉しやのバブルも経験したが、好きなものは好きで、どこかを我慢してでも山登りの資金はひねり出す努力はいっぱいしてきた。そう考えると自分たちの経験を生かせばいいことで、登山なら、市井の山岳会を再生させること。会ができれば次世代の養成ということは不可能ではない。

 われわれ”山の自然学クラブ”も同様に、登山に力を入れようとすれば若者には響くと思われる。屋外の登山教室や自然観察も登山の一部としていろんな団体とコラボし、学習とスキルアップに力を注ぎ、その上で自然学の発展を想像してみたいと思い始めた。来期の目標、今までも少しずつ言ってきたが、本当に実践する年にしたい。手始めに少し無茶でも油断なら無い山登りでスキルを磨きたい。乞うご期待!! 
 遭難の8割が団塊世代老害といわれないように心身頭脳ともさらに鍛えねば成るまい。本年も会員皆さまのご協力を節にお願い致します。

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