山の自然学クラブ 事務局ブログ

事務局へ寄せられた、会の活動報告や、会員のみなさまのご活躍を発信します。絵日記担当:中村が更新しています。

玉川上水の最終部分を歩く現地講座

玉川上水の最終部分を歩く現地講座

2月24日、玉川上水の最終部分を歩く現地講座を行いました。
東京マラソンと同じ日になりました。都庁から出発したランナーのみなさんが走っているころ、東京都水道局和泉給水所 近くをスタートに歩き出します。

緑道になった玉川上水の場所を現役の配水管が通されています。その横、井の頭線を渡る橋からは、神田川の谷を見下ろすことができます。上水は台地の一番高いところを通したことがわかります。
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笹塚駅の近くでは、玉川上水は暗渠化されず、ほのぼのとした雰囲気を醸し出しています。
鷺の姿も見ることができました。

1898年(明治31年)に完成した、新宿淀橋浄水場。
当時の東京市の一般財政の規模は50万円程度に過ぎなかったので、5か年継続事業で1千万円にものぼる市区改正予算(水道整備とそれに伴う道路整備の総額)は巨額なものでした。その費用が全額公債の発行で賄われ、市民からの水道料金の徴収が始まったきっかけであることはあまり知られていないと思います。

「近代的」と称し、威信をかけて通した水道のためにつくられたこの道(現在、水道道路とよばれています)を通ると、ずいぶん盛土をして通したことがわかります。この水路は何度も崩壊して洪水をおこして、そのたびに元の玉川上水路が使用されました。その結果水道管は結局、甲州街道整備の際に、甲州街道の地下(言ってみれば元の玉川上水の経路に近い)に埋設されることになり、現在に至っています。


淀橋浄水場が閉鎖された後、高層ビル街になった新宿新都心を歩きました。淀橋浄水場で使用されていた蝶型弁が住友ビル前に展示されています。

秀忠公のお母さんの実家菩提寺である天龍寺。江戸の西の端、内藤新宿の端に位置しています。江戸時代、みなに時刻を知らせた江戸三名鐘の一つとされる梵鐘、「時の鐘」が現存しています。
この他内藤新宿には、当時からあるお寺や社がいくつかあり、往時の様子が偲ばれます。
青梅街道と甲州街道の分かれ道、新宿追分の交差点も、江戸時代とあまりかわっていないようです。
四谷大木戸あとに立つと、緩やかな傾斜があることが実感されます。

ここから石樋に入らない余水を渋谷川に落とす吐水路がつくられました。今回はこの水路あと(今は下水道として暗渠になっています)を歩きました。

原宿・表参道の近くまで来ると、緩やかなカーブが商店街の雰囲気に一役買っています。堤防や橋の高低差もそのままだったりして、そのつもりで見ると河川そのものです。


下は参加者の山田さんから頂いた写真です。この日は風が強かったのですが、日差しは暖かく、いいお散歩になりました。
ご参加のみなさん、楽しい一日をありがとうございます!
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